みなさまこんばんは、音と神託の紡ぎ手さゆらです。
さて、今回は「ルールは人が創るもの」について書いてみたいと思います。
何を当たり前のことを、と言われるかもしれませんが、この世の中、色んなルールがありますよね。
物事を円滑に進めていくため、人々が気持ちよく利用するため、色んな意図でルールがつくられています。
このテーマについて書こうと思ったのは、数日前に20歳以上離れた人生の先輩と話したことでした。その方には本当に本当に、色んなことでお世話になったりときには守ってもらったりして、いつも優しくて穏やかで、注意をするにしてもとても考えて言葉を選ばれる方です。その方が
「この年になるとね、先のことを考えずにはいられないの」
と仰って、それは、もちろん、ご自分のこともかもしれないけれど、私たちの世代のことを憂えているようにもとれる発言、タイミングでした。
その時に話していたことが、私を含め、私の下の世代も含め、マナーや思いやりについてで、私の頭の中でたくさんのイメージが浮かんできました。直前まで、その方を含めて関わる人たちともあれこれと話し合った後だったからかもしれませんが、話し合いの中で私が思ったこと、その方と2人で話していて思ったのは、
もう少し、お互いがお互いを尊敬したり、思いやったり気遣う努力ができていたらルールなんて必要ないものばかりなのに
だったのです。
話し合いの場では忌憚ない意見交換がされたことはよかったと思う反面、少し棘のある発言、雰囲気が感じられる場面もあり、全体としてはいいディスカッションだったといえますがなんとなくモヤモヤした気持ちが残っていました。
話し合いが終わった後に、その方が仰った言葉の本当のところはわかりませんが。
私自身は、その言葉から気付かされる沢山のものがありました。
それが今回のテーマ「ルールは人が創るもの」です。
ルールが必要なことはわかります。世の中には沢山の「気持ちよく過ごすための運用するためのルール」があるのも知っています。ルールがなければ困ってしまうことも沢山ありますよね。
でも、たとえば、
こういうことをしたらみんなが嫌な思いをするからそれをさせないために
という理由で生まれる「抑止力を意図したルール」はできるだけ少ないものでありたいな、と思うのです。これまでよりちょっとだけ思いやりを表現する、相手を尊重する、周りをみて譲ったり譲られたりする、お互いが気配りして注意しあったり褒めあったりすれば、もう少し優しい世界になるんじゃないかな、と。
でも、そうした思いやり、尊重する心、譲り合う心が育つ機会が少ないのだろうなとも感じています。
そう、私がその方の「先のことを考えずにいられないの」という発言でこのことを言われているような気がしてしまったのです。
今回、話し合いで決定したことは決して自己中心的なものではないし、調和のとれたものにするという意図で創るルールではあるのですが、正直、ルール化しなくていいものならしたくないし、しなくてうまくみんなで譲り合って尊重しあって回せるレベルのものだと思ったりもします。
ルールは人が創るもの
だけれど、細かいルールが増えればそれだけ窮屈さを感じます。でも、窮屈さを感じる原因をつくったのも、人です。それは、自分ではない誰かのこともあるでしょう。だからといって自分には関係ない、理不尽だ、と思うのなら、窮屈に感じるルールを取り払うのもまた、人なのだと思うのです。
そんな中で、私にできることは何か、こうして文章にしてみると見えてくるものがあります。
私はやっぱり、人を育てたいなと思うのです。
占い師とかセラピストだ、とかそうした職業だから、という理由ではなくて、愛ある関わりやあたたかさのある繋がりを大切にできる心、悲しみや辛さを想像して寄り添える心を育てることに取り組みたい。10年後、20年後に気づくのでもいいから、種まきをしたいなと。仕事でも、プライベートでも。
すごく時間も手間もかかることだけれど、たかだか100年少ししか生きられない私たち人間がよりよく進化するために。
人生の大先輩がどんな意図でいったのかはわかりませんが、先のことを憂えなくてもいいように、とりあえず今できることを前を向いて取り組んでいこうと思います。
真面目〜な話になりましたが、今日はこのへんで♪
さゆら