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それは誰の望み?

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みなさまこんにちは♪
音と神託の紡ぎ手さゆらです。

仲のいいお友達と語らう時間は、とても楽しいし元気がでるものですよね。愛ある人間関係は、人生を豊かにしてくれます。でもその一方で、関係がギクシャクしてしまって、苛立ちや怒り、悲しい気持ちにさいなまれることもありますよね…。

今回のフリートークは、そんな人間関係について考えさせられた出来事を書いてみます。

とても仲良くしていた友人がいました。考え方や興味のあることは違っていましたが、不思議と気が合う人でした。よく一緒に出かけましたし、語り合えば時間を忘れてしまうほどでした。

こうした特別な友人というのは、私の人生に何度か現れてくれました。環境や育ちが全く真逆だったり、年齢が離れていたり、きっかけが不思議なご縁だったり。そのどれもにとても感謝しているし、関わりが薄くなった今でも、幸せであって欲しいと願っています。

 

でも、いつでもいつまでも、仲良く、なんてことは幻想だと私は思っています。

 

根本的な尊敬の念は変わらないけれど、ときにはなんとなく疎遠になったり、気持ちのぶつかり合いやすれ違いもあるものだと、そして、ときに離れてもまたタイミングがくれば親密になったり、協力し合える、そんな風に思っています。ただ、これも私がそう思っているのであって、他の人は違うのが当然というか、自然なことだとも思います。

微妙な関わりになったから切る、とか、拒絶する、とか、そういうのではなくて、違いを穏やかに受け止めて、少しずつ距離を取り直す。いつでもにこにこ仲良し、なんて不自然。その時、その時期、状況に応じて自分と相手を尊重する距離感を大事にしたいのです。

 

 

そして、あるとき、そのとても仲の良かった友人とも、少しずつ「違って」きたのを感じるようになりました。私にとって、これは初めてのことではないし、そういう時があることを過去に学んだので、「ああ、そろそろ一旦距離の見直し、取り直しの段階だな」と感じていました。

そんな中、共通の別の友人はそうした雰囲気を心配してか、私に連絡をしてきたのです。

 

「最近、〇〇さんとギクシャクしていますよね。」

 

その彼女は、彼女なりに心配をしてくれたと思いますし、修復しようと思ったのだということも、容易に想像がつきました。周りにそうした変な気をつかわせたことには申し訳ないと思ったので、私はそれを謝罪して、友人と連絡をとりました。

 

振り返ってみてやはり思うのが、この自分の行動が間違いだったな、と思います。

 

喧嘩をしたわけでも、言い争いをしたわけでもない。嫌いになったわけでもない。(相手はどう思っているのかは知らないけれど)

 

私としては、少しずつ距離を取り直して見極めようと思った行動が、別の友人にはそのように捉えられなかったのだと思います。当事者の友人も、自分が期待したような反応がないことが寂しかったそうです。それを見かねた友人が、よかれと思って私に連絡をしてきて、私はそれに応じてしまったのでした。

 

連絡をしてきた別の友人は「以前みたいに仲良くしていて欲しい」という願いがあったのでしょう。でも、その願いは、私自身の本当の願いじゃなかったのです。そもそも、以前みたいに、ってなんて成長のない(笑)、と常々思っているのもあります。

 

 

もっとも、このことについては、相手に対してどうこう、ではなく、私自身はどうありたかったのかが、揺れてしまった、ぼやけてしまったことが反省点でした。結局、どちらの友人ともほぼ壊滅的に疎遠になってしまいました(^^;)。時間の流れに任せて、穏やかに距離をとりつつ関係を育てていきたい、という自分自身の望みでなく、周りの言葉に結果的に振り回されたことが悔やまれます。それでも、文字におこせるだけの今の私になれた、ということは、穏やかに受け止めていると思えば、それはそれでよいのですが。

 

人間関係って、本当に本当に難しい、と感じた出来事でした。

 

この出来事があってからは、相手のことを思っての行動を起こす時、「それは一体誰の望み?」と自分に問いかけるようにしています。お節介が功を奏すことももちろんありますが、当事者でないことに介入するのはそれなりに覚悟して向き合いたい、あくまでも、当事者たちの望みに真摯にフォーカスしていきたいと思ったのでした。

 

この出来事を通して、沢山の気づきがあり、反省があり、色んな感情を経験して、今の私があることに、感謝です。

 

さゆら


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