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伝えようとする意思と、伝わらないものだという前提

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みなさまこんにちは♪
音と神託の紡ぎ手さゆらです。

コミュニケーションは、人間として生きていく間はずっと各人のテーマとしてあると思います。

 

「どうやったらうまく伝えられるんだろう」
「どんな言葉なら伝わるんだろう」

…なんか、歌に出てきそうなフレーズですが^^;

 

伝えたい、という思いを誤解なく伝えられるようにしたいとか、自分の感じていることを主張してもいいんだ、と思える自分になりたいのに…、という人が今の世の中多いのだろうな、とも思います。

そして、今回書いてみようと思ったのは、

 

伝えたい思いは、伝える行動を起こさないと全く理解されない

伝えたいことは伝わらないものだ、という前提を認める

 

というなんだか相反すること。
なんだそりゃ、って感じですね(笑)
まあまあ、私もそう思います。そう思いながら、書いてみます。

ところで、皆さんは言いたいこと、言えていますか?
私は基本、言いたいことははっきり言いますし、言わないのなら誰にも言いません。黙って心に抱いていることはあっても、言いたくなったら言うし、言いたくなるまで待つようにしています。

そして…

 

言わなくても気配で分かってくれる
誰かが察して代わりに言ってくれたらいいのに

—-なんていうのは、傲慢以外の何ものでもないし、

 

でも、だって、言いづらいんだもの。

—-言いづらいんじゃなくて、言いたくないってだけ。

とどのつまり、言い訳。

 

相手を傷つけたくない
相手に嫌な思いをさせてしまうんじゃないか

—-いやいや、それは自分が傷つきたくなくて、自分が嫌な思いをしたくないからですよね。

 

と、思っています。

まあ、時と場合によっては私もこういう思いを抱いているのでしょうけれど^^;

本来、自分の思いや感じていることを発言すること自体に善悪の良し悪しはなくて、「こうあるべきだ」「こうでなければならない」のような自分の価値観を押し付けるのでなければ、

 

ああ、あなたはそう思っているのね。

 

それだけですみます。
そしてそもそも、伝えたい相手に伝わるかどうか、なんていうのもちょっとナンセンスなところがあると私は思っています。

伝えたいから、伝える努力をする。

…でも、

 

伝わらないことが前提。(でも、伝えたいから働きかける。結構勇気が要ることもある)

 

そうした一種の「覚悟」をもって、勇気を出して伝える行動を起こすからこそ、伝えたいことの一部なり、たくさんなりが相手の心に響くのだと思うのです。

思いつく色んな方法で伝えて、一生懸命伝える努力をして、話をして、意見を言い合って、時に苦言もあって、その末になんだかよく分からないけど、理解しあえたような気持ちになって、お互いの心が通じた!

…と思うことももちろん沢山ありますが、そんな風になれた相手であっても別の時には

 

あれっ、そうだったの?ええ〜っ。

 

なーんてことが起こることもあってそれはそれでビックリします(笑)
あんなに密にやり取りして、話し合って気持ちを合わせたつもりでいたのに、なんで??みたいな。

でも、これって別に大したことじゃなくて、「伝え合い」を重ねているうちに生まれた隙間から、言葉がこぼれ落ちたりすり抜けたりしたもので、それもまた「伝え合う」ことをすれば「あれ、そういうことだったのね」となったりします。

だから、仮に相手が伝えてこないとしても、伝わらないことを前提にしても、私は私の思いを伝えようとする自分であり続けたいと思っています。
伝えようとする意思と、伝わらないものだという前提は、相反するようだけど、私の中では共存している、そんな感じです。

何かを伝えようと話し合ってみてわかるのは、

 

相手と自分が違う人間で、その違いは話し合ってこそわかる、という点だけが共通認識として現れて、お互いが愛をもって歩み寄る事で着地点を見出せるかどうか

 

ということなのかな〜と思っています。

私がこれからも大事にしていきたいなと思う人たちとは、そうした「着地点」をたくさん見出して過ごせたらいいなぁと思うのでした。(^^)

うーん、この文章、「伝わって」るのかどうだか、なんともわかりませんが、今日もお読みいただきありがとうございました♪

音と神託の紡ぎ手 さゆら


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