尊重する、ということ

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みなさまこんばんは♪音と神託の紡ぎ手さゆらです。

今日は久しぶりのフリートーク。尊重することについて書いてみたいと思います。
占いとかスピリチュアルな観点ではなくて、ごくごく普通のコミュニケーションの話です。

みなさまは、尊重することについてどのように捉えているでしょうか?

 

もう、何年も前のことになります。

私は仕事上で本名を明かすことはしていないので、どなたと関わるときでも「さゆら」の名刺をお渡しして挨拶をしています。
でも、たまにいらっしゃるんですね。

「本名ですか?」「本名は何ですか?」

って^^;
基本、滅多なことではお伝えしないのですが、とても親密にしてくださる方と食事に行ったり、出かけたりするうちに、お店で予約した名前などから知られてしまうことがあります。それでも、大抵の方は「さゆらさん」とこれまで通り接してくれるのですが、時々いらっしゃるんですね。

本名で呼びたがる人が。

昔、とある人に私は許可した覚えがないのに、なぜそうするのか、と尋ねたことがありました。
すると、かえってきた答えは

 

その方がちゃんと向き合っている気がするから

 

みたいな内容でした。
全くの意味不明な返答に、困惑したのをよく覚えています。
私はしてほしくない、と伝えているのに、私の意向はまったくの無視なのね、とびっくりしてしまったのです。

でも、こういう出来事があるたびに、いろんな気づきがあるのでそれはまあよいのですが。

 

今回お話しした出来事は比較的わかりやすい「尊重」のテーマです。

私はしてほしくないから、してくれるな、ということを受け止めてもらえず、私が不愉快そうにしているのをみても、改めてもらえなかったどころか、その方は「そうした方がいいと思った理由」を並べ始めて、私が白けた反応をしていても結局うやむやにしてしまった、という顛末でした。

 

目の前の私の思いを尊重してくれればよかっただけのことなのに、その人が向き合っていたのは私ではなく、その人の心の中にある色んな過去の思いや葛藤だったのだろうな、と感じました。

 

こうした経験をすると、私自身ではなく別の誰かが尊重されていない場面に遭遇すると、割って入れるときは私が率先して尊重する行動をとるようにしています。

 

人が大事にしている信条や価値観を知ることができたら、自分にあてはめずに「そうなんだ」と受け入れること。それができるようになると、自分が大事にしている信条や価値観を堂々と言えるようになります。

わかってくれない、と愚痴ったり、無言の圧力をかけたり、無視するより、ずっと生きやすいです。

 

でも、もしその勇気がでない、うまく心の整理ができない、ということがあったら、サロンにご予約くださいね。

占いではなく、あくまでコミュニケーションレッスンとしてお話させていただきます(^^)


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